お久しぶりです。
8月は何かと忙しく更新を怠ってしまいました。
先日、南相馬市で復興イベントがあり行きました。
南相馬市は原発から北へ約30km
市の半分が30キロ圏内になってしまった町です。
会津から南相馬へ行く一番早いルートは、
二本松市から川俣町を抜け飯館村経由。
とても線量の高い地域です。
全村避難になった飯舘村内も車で通過できます。
二本松市周辺から走る車内で一気に数値が上がります。
国道4号上で0.8μSvくらいの地点が出てきます。
山間部へ入ると数値は一旦0.3程度に落ちるのですが、
川俣町へ入った辺りから0.6を超え出し、
飯館村へ入ると、いきなり2μSvを超えました。
村内のある地点まで来たとき、
ガイガーカウンターの警報が鳴り出しました。
数値を見ると9.99μSv
警報設定は2.5μSvになっています。
警報は数分間続きました。
警報が止まり胸を撫で下ろし数値を見ると、
1.8〜2.4の間を行ったり来たりしていました。
本当はとても安心出来る数値ではないのですが。。
いずれも走行中の車内。
外で計ったらと想像するだけで怖いものでした。
そして一番驚いたことは、
そんな高い放射線の土地で人間が働いているということ。
同じ県内の事なのに知りませんでした。
全村避難は住民が住んではいけないということで、
仕事で村へ入る事は許されているのですね。
誰もいない村、閉められた商店、
そんな風景の中、ガソリンスタンドや自動車修理工場などで人々が働いている。
しかもマスクもせずに。
原発が爆発して海沿いの地域から多くの県民が
原発から遠いこの飯館村へ避難したわけです。
そこが高線量の場所だとは知らずに。
そして飯館村民は2ヶ月以上も住み続けさせられました。
政府が早くスピーディーの情報を公開していれば、
不必要な被曝は避けられたのに。。
なんとも遣る瀬ない気持ちになりました。
飯館村を抜けるとすぐに南相馬市です。
山間部は様々な情報どおり1.5μSvと高かったです。
そこには人々が暮らす地域が広がっています。
平野へ下りきると数値は一気に下がり0.5程度。
いや0.5は充分高い数値ですが、
感覚が麻痺してしまいます。
途中、道の駅南相馬で休憩。
0.14μSv。
目的地の会場付近。
0.14μSv。
当日の会津若松市の公表値と同じ。。
海から約2km.
海風の強い地域の線量は本当に低くなっています。
真っ青な空、咲きわたる向日葵。
復興を誓う人々の静かな熱気。
そこがすでに30キロ圏内で
原発までたった約25kmの地点
あと5km先は立ち入り禁止で、
たった25km先で人類が経験した事のない大事故が起こり、
事態は今も何も変わっていない。
そんな場所に居るのに現実感が掴めない、という現実。
帰路は北上し相馬市から伊達市を通り福島市へ抜けました。
伊達市は1μSv以上の場所が点在していました。
ここでも人々は普通に生活をしています。
子供も遊んでいました。
原発から60km以上離れている場所で再び現実に引き戻されました。
本当に残酷な現状です。
自宅へ帰り、
線量計を見るとその日一日の積算量は35μSvでした。
これは会津若松市の11日分にあたる数値です。
(平常時の一ヶ月分)
極端に数値の高い飯館村を通過した影響も大きいのでしょうが、
こんな数値の地域にまだ多くの県民が暮らしているんです。
いくら空間線量が低くなっても大地と森林の汚染は酷い。
京大の小出博士が言うように「森林の除染はできません」
という言葉がズッシリと響きました。
本当に、本当に、福島の現実は厳しい。
どうすれば良いのだろう?
「現場へ行かないと何も分らないの」
と、いう 瀬戸内寂聴さんの言葉を思い出しました。
今、自分が出来る事はこれなのだと思います。
現場へ行って感じて考えて行動する。
単純で当り前のことなのですが、
県内ですら報道が少なくなったり
報道されてもまったく的外れな「がんばろう」だったり。
今回、初めて30キロ圏内へ行って、
改めて、本当に改めて、そう思いました。
現場に行かなきゃ何も分らないんだってことを。
いや、本当、行ったって何も分らないことばかりだと思う。
分った気になってしまう事の方が多いに決まってる。
うん。
けど、うん、けど、なのだ。
久しぶりのポストなのに話しがアチコチでした。
すみませんでした。
より大きな地図で 「僕らの福島地図」5月21日〜 を表示-----追記-----
「土壌汚染、34地点がチェルノブイリ移住基準超」